■氏名・生年月日 及川 清子(オイカワ セイコ) 1954年9月生まれ(おとめ座) |
■同 居 人 夫・次女・クー(ミックス犬 ♂)・寅次郎(茶トラ ♂) ミー(三毛 ♀)・かつ(ソマリ ♀) ★ 毎日がにぎやかです ★ |
■資 格 ・社会保険労務士(S59.2.1社会保険労務士登録・H19.4.1特定社会保険労務士付記) ・産業カウンセラー(H20.4.1登録) ★ 大変!娘が病んだ!(で、取得)★ ・日商簿記2級 |
■歩 み ・1970年〜1974年 (S45年〜S49年) 富士通(株)小山工場 & 県立小山高校(定時制) ★ 一人旅を始めたころ ★ ・1974年〜1978年(S49年〜S 53年) 立正大学第二文学部史学科 & 大学3年、在学中に結婚 卒論「植木枝盛に見る男女平等論」 ★ 熱かった青春時代 ★ サークル あらぐさ合唱団で活動 ・1974年〜1993年(S 49年〜H5年) 江北綜合経理事務所(東京都足立区) ★公私共に鍛えてもらいました ★ ・1993年(H5年〜 ) いざ!裸一貫サムライ業に船出 |
■学びの場 ・二土会(東京を中心にした関東近隣の元気女性社労士の会) ・ECネット 、パンネット (いずれも全国のツワモノ社労士が集う勉強の場。知識とエネルギーの補給基地) ・士の会(千葉のサムライ。最近入れてもらいました) ・スモールサン(中小企業経営者の学びの場、叱咤激励してくれます) |
■頑張って活動も ・千葉県社会保険労務士会船橋支部 支部長(平成15〜16年度) ・千葉県社会保険労務士会 理事(平成15〜20年度) ・千葉SR経営労務センター 会長(平成22年度〜 ) ・市川商工会議所(労務相談2年)・(小規模振興委員15年) ・全国社会保険労務士会連合会 労働相談員(2年) |
■こんなことも なんで私が雑誌に!? ★ 日経ウーマン「資格取得者のその後徹底インタビュー」平成9年 ★ ★ 国際ジャーナル「地域に生きる人と企業」平成11年 ★ あれから少しだけ(?)歳(キャリア)を重ねた分、皆様のお役に立てているなら嬉しいです |
■これからに思うこと 人として、今できること、60になってできること、70になってできること、80になってできること・・。 |
社労士へのあゆみ
この世界に入るきっかけ
私が、この世界に入ることになったきっかけは、経理事務所で働いた19年にあります。この19年間という中小企業とのかかわりは、ホントの日本経済の現実を垣間見せていただくことになった時間であり、税務(数字)の面だけではない形で、何か私が力になれることはないだろうか、との思いが芽生えた時間でもありました。
親会社から仕事を貰う立場での単価交渉、厳しい資金繰り、思うように行かないコスト削減、万年の人手不足、有給休暇をあげる余裕さえない、といった様々な経営者の悩みに、耳を傾け、知恵を出し合い、悩みの糸口が少しでも解れたときの喜び。
ホントの日本を支えているのは、こういうたくさんの悩みを抱えながらも、健気に一生懸命現実と向き合っている中小企業であること。ならば、その人たちに寄り添ったお手伝いができないだろうか、との思いに達し、それができるのは、もしかすると「社労士?」と考え始めたのでした。
共働きで子持ちの受験生
「社労士」を目指す勉強に入ったのは、初めての子どもが産まれてからでした。理想や思いはともかくとして、周りの同僚が税理士を目指し、次々に合格するのを目の当たりにして、すでに子持ちとなり、なんら資格もなく、事務所に居座るのは「ヤバイ!」と思うようになり、「資格を持たねば!」との思いに駆られたのです。
産休明けはイコール職場復帰のとき。保育園と職場と我が家のトライアングル生活が始まって数ヵ月後、そこに受験生の生活が加わりました。振り返れば、若さは何よりも最大の武器だったんだと今さらながら思います。
当時、唯一の学習の場は片道1時間、往復2時間の通勤電車の中でした。座席がゲットできたときは、通信教育のテキストと睡眠確保の両者が一歩も譲らずの攻防戦でしたが、何事も歩みを続ければ前に進み、やがてゴールにたどり着くもので、2子目が産まれた後にようやくゴールを手にしました。なんと、足掛け4年近くの日々を費やしたことになります。
子どもを産んでからは、共育ちの試練も与えられ、保育園父母の会会長を引き受ける羽目になったりと大忙しでした。しかし、です。社労士に無駄な経験はなく、働きながら子育てする女性の苦労をしっかり学び、子育て支援なくして社会の発展はないことを確信。今、本当に社労士の出番を実感しています。
船出のとき
資格取得後の9年間は、税務・登記の業務に労務の分野が加わり、さらに数多くの業務に携わって参りました。これらの経験は、この社労士業務を行なうにあたっての血となり肉となっています。いざ、船出のときはすでにバブルもはじけ、下の子が小学生高学年になるときで、「やっと楽になるときに何故独立するの?勤めていれば苦労しないのに」との声を背に、今が「潮時」を感じて、船出となりました。
その後
船後は、「社労士は人を雇って一人前、人を雇えないと経営者の気持ちが分からないよ」との先輩社労士の言葉を深く心に刻み、とにかく一人前に人を雇えるようになろう、外に事務所を持てるようになろうと、ご依頼いただいた仕事は何でも引き受け、沢山の経験を重ねて今日に至っています。
丁度時代は、中小企業であっても1週40Hの労働時間の対応が迫られており、変形労働時間制を採り入れて、何とか対応しようと苦慮していた時期でもありました。就業規則などお目にかかることが少なかった中小企業も、自前の規則を作ろうとの士気が出始めており、このときにご依頼いただいた「働くルール作り」を通し、労働環境を整備するサポートは、現場に密着している「正に社労士の仕事」であることを実感し、今の及川事務所の業務の柱になっております。
今・そしてこれから
私、及川は、経理事務所での19年間の経験を活かし、経営者の目線で、かつ、働く社員の皆さまの環境が少しでも良くなり、頑張る力がわいてくる。そして、その頑張りが会社の発展へと繋がるよう、同じ経営者として共に目指し、歩んで行きたいと考えています。
お客様の会社の発展が及川事務所の喜びです。
お客様の会社で働く社員の皆様の幸せが及川事務所の喜びです。
お客様に喜びを提供できるよう、そして及川事務所も負けずに発展できるよう
私たちは日々研鑽に努めます。
お立ち寄りいただいた皆様とあらたなご縁があると嬉しいです。